暗黙知の蓄積とAIへの知の移転がもたらす、製造業におけるAI変革の正解

日本の製造業は「技能継承の断絶」「人材減少」に直面。生成AIは、熟練者の「現場知」を学習・継承し、判断・操作する“パートナー”として、「人とAIの協働」を現実のものとしています。
本記事では、設備チューニング、不良品検出、段取り変更、保守・保全などAI介入領域を通じて、技能継承や「暗黙知」の扱いがどのように変わるか、製造業とAIの未来を紹介します。
※本記事は、2025年8月に開催されたウェビナー『生成AIで変わる製造業の未来』の内容を、最新事例も織り交ぜて再編集したものになります。
目次
製造業が直面する根深い課題:「人手不足」と「技術伝承」
製造業の皆様にとって、人手不足や熟練技術者の高齢化、そしてそれに伴う技術伝承の問題は、今や深刻な経営課題となっているのではないでしょうか。
これは多くの調査レポートでも指摘されており、私たちが日頃お客様からいただく相談の中でも、特に切実な悩みとして伺うことが多いテーマです。
これまでも、AIは外観検査や搬送、加工といった「作る」工程の自動化に貢献してきました。
しかし、生成AIの登場は、これまでのAI技術とは一線を画すインパクトをもたらします。なぜなら、生成AIは言語や画像、動画といった、これまで扱いきれなかった「マルチモーダル情報」を解釈できるようになったからです。
生成AIは、これまでデータ化が難しかった言語や映像、センサー情報といった多様なデータを解釈できるようになったことで、この課題にブレークスルーをもたらしました。
熟練技術者の頭の中にしかない「暗黙知」―言葉にしにくい感覚や経験則をデータとして捉え、組織全体の知識、すなわち「組織知」へと転換する道筋が、今ようやく見えてきたのです。
経営パラダイムの転換:AIと人間の融合による革新の時代へ
AIの登場によって、組織のあり方そのものが新しいパラダイムへと移行しつつあります。
- 1.0 『個人の才能に依存した時代』
特定のスタープレイヤーや熟練工の個人的なスキルに業績が依存し、情報共有が難しく、スケーラビリティに欠ける時代。
- 2.0 『デジタル化による効率化の時代』
基幹システムなどを導入し、データを共有することで業務を効率化し、安定した業績を目指す時代。
- 3.0 『AIと人間の融合による革新の時代』
AIがデータを分析して洞察を導き出し、人間はより創造的な活動に集中することで、顧客生涯価値の最大化や市場変化への即時対応を実現する時代。

多くの企業が2.0の段階を経て、今まさに3.0の時代へと足を踏み入れようとしています。
この新しい時代において、暗黙知をいかに組織知へと昇華させるかが、企業の競争力を左右する鍵となるのです。
「言うは易し」な暗黙知の形式知化、その高い壁
しかし、「暗黙知を形式知化し、誰もがアクセスできる環境を作る」というのは、言うほど簡単なことではありません。
- 言語化の困難
「手の感覚」や「音・匂いによる判断」といった非言語的な知見は、ヒアリングだけでは引き出しきれません。 - 時間とモチベーションの不足
多忙な熟練工に知識共有の時間を確保してもらうのは難しく、「なぜ自分が教えなければならないのか」といった心理的な抵抗感も存在します。 - 記録の断片化
一度のヒアリングで全てを網羅することは難しく、メモやExcel、口伝など、情報が様々な場所にバラバラに蓄積され、体系化されにくいのが実情です。 - 背景・文脈の欠如
「圧力は2.3MPaが良い」という記述だけでは、「なぜそうなのか」「どんな条件下で」といった応用につながる情報が欠落してしまいます。 - 検索性の低さ
たとえ文書化されても、膨大な情報の中から必要なものを探し出すのは困難です。キーワードが少し違うだけで、価値ある情報が見つからないことも少なくありません。 - 更新の停滞
一度マニュアルを作成しても、その後の設備変更やプロセスの改善が反映されず、情報が陳腐化してしまうケースが後を絶ちません。
こうした高い壁を乗り越えるため、近年、暗黙知のデータ化を支援する様々なテクノロジーが登場しています。
例えば、作業手順を視覚的に伝える「動画作成ツール」、熟練工の身体の動きや感覚を数値化する「センサーツール」、そしてAIが対話形式でノウハウを自動的に構造化する「AIインタビューツール」などです。
これらのツールは、熟練工の負担を最小限に抑えながら、これまで捉えきれなかった貴重な知見をデータとして蓄積する手助けをします。
ただし、ツール導入だけで問題が解決するわけではありません。最も重要なのは、現場の日常業務に溶け込む「運用」の設計です。
現場の負担を増やさず、むしろ日々の業務を助ける形で、いかにして継続的に知識が蓄積・活用される仕組みを構築できるか。
例えば、単なる検索ではなくAIが状況に応じて過去の類似ケースを「推薦」する、数値だけでなく「なぜその判断をしたか」という文脈付きで知識を蓄積するなど、使う側の視点に立った工夫が成功の分かれ目となります。
新しい協働モデル:「たたき台」をAIに、「最終判断」を人に
私たちが提案したいのは、100%の自動化を目指すのではなく、人とAIが協働する新しいプロセスを構築することです。
特に効果的なのが、AIに「たたき台」を作らせ、熟練者がそれを基に判断・修正し、その理由をフィードバックするというモデルです。
例えば、米国の鉄鋼メーカーでは、合金の添加量をAIが提案し、それを現場の作業者が採否を判断するという取り組みが行われています。
作業者はAIの提案に対して「OK」を出すか、「この条件ではこうなるからダメだ」と理由をつけて修正します。
このプロセスには、いくつものメリットがあります。
1. 業務の効率化:AIがたたき台を作ることで、熟練者は日常の微調整から解放され、より重要な判断に集中できます。
2. 質の高い組織知の蓄積:「なぜその判断をしたのか」という理由(文脈)付きのデータが蓄積され、AIはより賢く進化します。
3. 後進の育成:熟練者の判断プロセスがデータとして残るため、若手技術者にとって最高の教材となります。
この「人とAIの協働モデル」は、製造業の様々な領域で応用可能です。
応用例1:制御・ロボットティーチング
製造業においてPID制御が必要なシーンは数多く存在します。
そのパラメータチューニングは多くの企業で熟練者が担っており、例えば空調であれば気温・湿度に応じた日々の調整が求められます。
限られた熟練者のリソースが、こうした定常的な調整業務に費やされているケースは少なくありません。
こうした課題に対応するため、SmartMPCをはじめとするAIを活用したリアルタイム制御技術が急速に発展しています。
MPCにAIを組み合わせることで、プラント・空調・機械操縦などの制御が可能となります。さらに、オンライン学習機能により、日々の環境変化に応じた自動チューニングも実現します。
これにより、空調の日常調整や鉄鋼クレーンの操作など、パターン化できる定常的な制御業務をAIに委ねることが可能となります。
新工場の立ち上げ時にも、AIによるチューニングにより稼働開始を早めることができ、熟練者の時間を解放できます。
また、AIが暗黙知を保持することで、企業として知識を組織的に保有できる状態が実現します。
AIへの移行に対して現場から拒否反応が生じることは珍しくありません。
「仕事を奪われる」という懸念が根底にあることが多いですが、実態はそうではありません。むしろ熟練者が減少している現状では、AIへの移行なしには業務継続が困難になりつつあるという側面もあります。
制御領域において、気温・プラントの温度・圧力などを長時間にわたり一定に保つ定常監視業務は、AIが確実に担える領域です。
一方、人が不要になるわけではありません。想定外の事態は常に発生し、プラント・食品をはじめ各製造業には厳格な安全基準が設けられており、大手企業ほどその要件は厳しくなります。
最終的な意思決定と判断は、引き続き人が担うべきです。
定常監視中に異常の兆候を検知した際にアラートを発するなど、AIによる制御と人による監督・例外処理を組み合わせたオペレーションを設計した上でAIシステムを構築することが、不可欠な要件となります。
熟練者や延長雇用で復帰された方々には、今後「監督者・例外処理者」としての役割を担っていただく必要性が、確実に高まっていくでしょう。
応用例2:積算・見積もり
積算・見積もり業務においても、同様の構造が当てはまります。機械部品であれば図面、食品業界であれば別の形式の仕様書など、業種によって形式は異なりますが、積算業務は多くの製造業において膨大な人数と工数を要する業務です。
データベースが十分に整備されていない企業では、長年の経験を持つ熟練の積算担当者が高い効率で業務をこなしており、数百人・数千人規模の体制で運営しているケースも多く見受けられます。
しかし制御領域と同様、AIによって全工程を代替することはできないものの、作業者の工数を大幅に削減しながら業務を遂行できる時代が到来しています。
生成AIとAIエージェントを組み合わせることで、図面等の入力情報から見積もりの初稿を自動生成できます。完全ではなく、数量の不足や特殊ケースへの未対応といった部分は人がカバーする形となります。
積算・制御のいずれにおいても、AIに置き換えられる領域と人が残る領域は明確に存在します。定型的な積算・頻出パターンの見積もり・単純な手戻り作業はAIが担い、監修・最終判断・特殊案件・複雑な見積もり・顧客対応・交渉は引き続き人が担います。
重要なのは、定型・通常系の業務をAIに委ね、どれだけ効率化・自動化できるかという点に生成AIとAIエージェントで挑戦することです。
さらに、特殊ケースで「なぜ誤りだったのか」を音声などで簡単に記録できる仕組みを整備することで、人とAIが協働する中で後進育成も同時に実現できます。この仕組みが機能すれば、暗黙知は徐々に組織知へと転換されていきます。
暗黙知を組織知に変える取り組みは長期的なプロセスです。一気に全社展開を目指すのではなく、積算・制御・特定工程といった単位で領域を区切り、クイックウィンを積み重ねていくアプローチが、極めて重要な戦略となります。
議論を加速させる「標準化」というアプローチ
最後に、部門間の連携を円滑にするための「標準化」についてです。
ソフトウェア領域と比較してハードウェア製造業での標準化は複雑ですが、完全な標準化が困難であるとしても、AI化・組織化を進める上で標準化の欠如は大きな障壁となります。
企画・営業部門が持ち込む要件の解像度が、製造・開発部門の求める水準に達していないために生じる情報の手戻りは、多くの製造現場で日常的に発生しています。
「それは製造できない」「情報が不足している」といったコミュニケーションコストは、組織全体の生産性を大きく損ないます。
これはある程度避けられない問題です。営業・企画側にも複雑な判断が求められる一方、製造・開発側の要件も高度化しており、両者の情報連携は容易ではありません。
解決策として有効なのが、AIを活用した標準化された企画書・議論のたたき台の整備です。企画部門と製造・開発部門が共通のフォーマットに基づいて議論できる環境を構築することが重要です。
トヨタ自動車のDRBFM(Design Review Based on Failure Mode)はその代表例です。
設計変更を提案する際、変更に伴い発生しうるリスク(フェイラーモード)を事前に想定・記載し、企画・製造・品質部門が合同でレビューする仕組みです。
車両部品の完全な標準化は困難ですが、変更が生じやすい領域において、標準化されたたたき台を必ず作成してから議論するというオペレーションを確立することは、実現可能であり、かつ重要です。
パナソニックや日立においても、形式や内容は異なれど、「作りたいものと製造上の課題を標準化されたたたき台に基づいて議論する」という思想は共通しています。
これらの取り組みは、今後5年で生成AIによる支援が本格化すると見込まれます。
DRBFMの議事録や企画書が蓄積されていけば、例えば「ボンネット部分の素材変更」という提案に対し、過去の類似ケースからAIが60〜70点のたたき台を自動生成できるようになるでしょう。
会議議事録をAIで取得し、企画書とセットでIDを付与して管理・蓄積することで、こうした支援が実現可能となります。
積算・制御と同様に、企画と製造の間で生じる議論の内容を記録・蓄積していくことも、組織知の構築において有効なアプローチです。
通常系とは異なる特殊な判断が求められる場面こそ、貴重な知識が生まれやすい領域であり、そこでのデータ蓄積は長期的な競争優位につながります。
製造業におけるAI活用事例
AVILENでは、単なる効率化に留まらず、現場の専門知識とAIを融合させることで、数々の課題を解決してきました。
ここでは、実際に製造現場でどのようなAI変革が起きているのか、3つのアプローチに分類し、以下に支援事例をご紹介します。
1. 【事務・設計の自動化】デスクワークの「暗黙知」をAIで型化する
- 見積もり・積算の自動化(見積もりAIエージェント)
複雑な製品仕様や過去の膨大な見積データをAIが解析し、精度の高い積算初稿を自動生成します。
熟練担当者の「勘」に頼っていた業務を標準化し、作成時間を大幅に短縮することで、より付加価値の高い提案業務へのシフトを実現します。
【AI変革事例_製造業界】帳票処理AIエージェント活用による製品図面の読み取り・見積業務の効率化 - 図面解析・データ抽出(図面解析AI)
図面内に記載されたテキストや形状情報をAIが自動で読み取り、必要な仕様データを抽出・リスト化します。
手作業による転記ミスを撲滅するとともに、過去の類似図面の検索性を向上させ、設計・調達プロセスのリードタイムを短縮します。
【AI変革事例_製造業界】製造業界の設計指示コストを大幅に削減できる図面認識AIソリューション - 帳票処理の効率化(帳票処理AIエージェント)
発注書や納品書など、取引先ごとに異なる多様な形式の帳票をAIエージェントが正確にデータ化します。
従来のOCRでは難しかった複雑な読み取りも可能で、事務部門の入力工数を削減し、全社的なペーパーレス化とDXを推進します。
【AI変革事例_製造・卸売業界】帳票処理AIエージェント活用による書類のシステム登録自動化
2. 【現場の省人化】目視や監視の「負担」をAIが肩代わりする
- 高精度な画像検査(画像検査AI)
製品表面の微細なキズや汚れ、色ムラなどをAIが高精度に自動判別します。
検査員ごとの判定基準のバラつきを解消し、24時間安定した品質管理体制を構築することで、人手不足の解消と不良品流出のリスク低減に貢献します。
【AI変革事例_製造業界】顕微鏡画像からミクロ繊維(アスベスト)を正確に特定 - 製造プロセスの監視(プロセスモニタリングAI)
製造ライン上の各種センサーやカメラ映像を統合的に解析し、稼働状況をリアルタイムで可視化します。
ボトルネックとなる工程の特定やサイクルタイムの変動を検知することで、現場の状況に応じた迅速な生産計画の最適化を支援します。
【AI変革事例_製造業界】AIが清掃の「正解」を判定。実務に即した自動監督システム
3. 【守りのAI】設備の「異常」を未然に防ぎ、止まらない現場を作る
- AIによる異常検知(予兆保全)
設備の「音」「振動」「電流値」などの変化をAIが常時監視し、故障に至る前の微かな兆候をキャッチします。
従来の定期点検(時間基準)から、必要な時に整備する「状態基準保全」への転換を可能にし、突発的なライン停止による損失を防ぎます。
【AI変革事例_製造業界】波形データを用いた異常検知AIの開発OJT
まとめ:AIと共に働き、新しいプロセスを描く
生成AIの登場により、製造業が長年抱えてきた人手不足と技術伝承という課題に、ようやくメスを入れることができるようになりました。
重要なのは、「AIに仕事を奪われる」と考えるのではなく、「AIと共に働き、新しいプロセスを描く」というマインドセットです。

暗黙知をデータとして蓄積し、AIとの協働を通じて組織知へと転換する。熟練者の時間を確保し、より高度な判断や後進の育成に充てる。
この好循環を生み出すことができれば、企業の競争力は飛躍的に高まるはずです。
私たちAVILENは、「データとAI」を中核に、企業の変革を支援してきました。AI戦略の策定から、AIシステムの開発・導入、そして組織への定着と内製化まで、一気通貫で伴走します。
製造業におけるAIトランスフォーメーションの実現に向けて、もしお困りのことがあれば、ぜひ私たちにお声がけください。
記事の筆者

株式会社AVILEN
代表取締役 / データサイエンティスト
創業メンバーとしてAVILENに参画し、2021年から代表取締役に。 2023年にAVILENを東証グロースに上場。 東京大学大学院を修了し、機械学習による即時的な津波高予測の研究に従事。 金融データ活用推進協会標準化委員。


